
全日本男子バレーボールの監督に、現・堺ブレイザーズ部長の中垣内祐一さんが就任されました。
全日本男子バレーの2016年オリンピックは予選敗退と残念な結果に終わりましたが、中垣内祐一新監督のもと、2020年の東京オリンピックに向けてよいスタートを切って欲しいですね。
この記事では、中垣内祐一全日本男子バレー新監督のプロフィールや実績、逸話をまとめていきます。
また、新生全日本男子バレーチームの構想についても書いてみたいと思います。
Contents
中垣内全日本男子バレー監督のプロフィール
中垣内祐一(なかがいち・ゆういち)
1967年11月2日生まれ(48歳)
福井県福井市出身
身長194cm
体重94kg
ニックネームは”ガイチ”
中学からバレーを始め、福井県立藤島高校卒業後、1986年に筑波大学入学。
大学1年でレギュラー入り。
筑波大の同期にはサッカーの井原正巳(アビスパ福岡監督)、中山雅史(アスルクラロ沼津在籍)がいるそうです。
家族は、奥様と長女、長男の4人家族。
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中垣内監督の選手時代の実績
筑波大在籍時の1989年に全日本に選出されており、同年のワールドカップに世界戦デビューを飾っています。
大学卒業後、1990年に新日鐵に入部。初年度にMVP,や新人賞など賞を総なめにする活躍で、川相、熊田らロス五輪世代の次の世代のスーパーエースとして90年代に大活躍します。
1992年のバルセロナ五輪に出場しチームは6位入賞。1994年には全日本のキャプテンを務めています。
2000年にシドニー五輪出場を逃し全日本代表を引退し、2004年に現役引退しています。
この頃から、日本男子バレーの本格的な苦難の時代が訪れた気がしますね。
中垣内監督の指導者時代の実績
現役引退後、所属チーム堺ブレイザーズの監督に就任し、2005-2006年シーズンにVリーグ優勝と実績を残しています。
2009年に堺ブレイザーズの監督を辞任後、日本オリンピック委員会スポーツ指導者海外研修員として2年間の海外研修を積むなど指導者としての経験を積んでいきます。
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中垣内監督の逸話 不倫騒動と反省の日々
帰国後、2011年から全日本代表コーチに就任し、バレーボール指導者として順調に歩んでいた中河内さんにスキャンダルが発覚します。
2012年7月に不倫現場をスクープされてしまいます。
当時の女性自身の記事によると、お相手は20代の神田うの似のOLさんで、中垣内さんの車でラブホテルに入るところを記者に目撃されてしまったのです。
この事件の責任を取る形で代表コーチを辞任し、バレーボールからも遠ざかってしまいます。
以来、2016年4月にプレミアリーグ・堺の部長に復帰するまで、新日鉄住金の一社員として土木資材の営業にいそしむ毎日を送っていたそうです。2014年当時の肩書きは「大阪支社 土木建材室 主幹」ということで、一般の企業だと課長さんクラスですかね?
中垣内さんは全日本監督就任の記者会見で以下のように語っています。
バレーのことは一切考えず、バレーのことを自分から話すことは一切なかった」。営業先で「バレーの中垣内さんの親戚?」と聞かれれば「そうです」とうなずき、「大きいけど何かスポーツやってたの?」と聞かれると「何もやってないですよ」とごまかした。バレーボールとの関わりは、堺の試合をこっそり観戦する時だけだった。
「(現役時代から)鼻高々になっていろんな人に迷惑をかけてきた」。代表のエースアタッカーとして活躍してきた自分の傲慢(ごうまん)さにも気づくことのできたサラリーマン生活だった。「営業は人対人。バレーでおろそかにしてきた誠実さと信頼を生かしていきたい」と貴重な経験を無駄にしたくないと語った。(スポニチアネックスから引用)
人生の辛酸をなめ、一般社会で苦労した経験を、ぜひバレーボールの指導にも生かしてほしいものですね!
新生全日本チームのメンバー構想は?
これから新生全日本チームの組閣が始まるかと思いますが、その構想について予想してみましょう。
監督も人の子ですから、まずは自分の所属チームの選手を使いたいところだと思います。そこで堺ブレイザーズの選手から注目選手をピックアップしてみました。
出耒田敬選手は2016年オリンピック予選の代表メンバーだった選手です。
ポジションはミドルブロッカーで出身校は中河内監督と同じ筑波大ですね。
苦しんだリオ五輪予選の経験を2020年東京五輪に生かしてほしいものです。
まとめ
いかがでしたでしょうか?
人生の苦難を乗り越えて、再び表舞台に帰ってきた中垣内監督だからこそできる指導があると思います。
2020年東京五輪に向けた奮起に期待しましょう!
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