2017年NHK大河ドラマ「おんな城主 直虎」の第2話にムロツヨシさんが登場しました。

そしてその衝撃の姿と役名にネット上が沸き立っています!

 

伸び放題のヒゲとボサボサの髪の毛。

顔は泥だらけで、着物はまるで雑巾のよう・・・

乞食のようなその姿は、まさしく流れ者そのものです。

しかし、その目は爛々と輝き、計り知れぬ野望を胸のうちに隠していることが伺えます。

 

そして役名はなんと「あばら屋の男」!

名前さえついていません!!!!

 

ムロツヨシさんに対しては、「もう売れっ子なんだからもう少し仕事をえらべよ」という声も聞こえてきそうですが、実はこの「あばら屋の男」は「おんな城主 直虎」の主人公・井伊直虎の生涯を語る上では切っても切れない重要人物なのです。

 

あばら屋の男とは一体誰なのか?何をした人なのか?

井伊家とあばら屋の男の関係はどのようなものだったのか?

 

この記事では、今後の「おんな城主 直虎」のキーマンの一人となる「あばら屋の男」の正体に迫ります!!

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ところで「あばら屋」とは何?

ところで、皆さん「あばら屋」と言われてピンときますか?

最近、聞かないし使わない言葉ですよね。

現代日本に「あばら屋」なんてほとんどないですし・・・

辞書で「あばら屋」を調べてみると、

あばら‐や【▽荒ら屋】

1 荒れ果てた家。破屋 (はおく) 。やぶれや。粗末な家の意で、自分の家をへりくだってもいう。
2 四方を吹き放した休憩用の小さな建物。あずまや。亭 (ちん) 。
出典:デジタル大辞泉

「あばら屋」って「荒ら屋」と書くのですね。初めて知りました!!

そしてその意味は、漢字の意味の通りで荒れ果てた家のことを指します。

「おんな城主 直虎」の第2話でおとわが迷い込んだ「あばら屋の男」の住まいも家畜小屋と見間違うようなまさしく「あばら屋」でしたね!

あばら屋の男の正体は誰?

さて・・・

前置きが長くなりましたが、「あばら屋の男」の正体を発表します!

 

ムロツヨシさん演じる「あばら屋の男」の正体は、後の豪商「瀬戸方久」です!

 

「おんな城主 直虎」公式サイトから「あばら屋の男」こと「瀬戸方久」の設定を引用します。

無一文から商売で成功をおさめ、井伊家の財政を揺るがすほどの力を持つ豪商に。

金のためなら組む相手をころころ変えて油断のならない人物だが、「利益」を正義とするポリシーはどんな時も揺るがない。

要するに、良く言えば「曲者」、普通に言えば、金のためならなんでもする「クズってことですかね?

 

これだけ設定にクセのある人物だと、ムロツヨシさんくらいアクが強くて演技が上手い俳優さんじゃないと務まらない感じですね。

とにかく外見だけとっても「あばら屋の男」から「瀬戸方久」への落差が激しすぎます!

 

これが

こうなります

一体何をどうすれば、雑巾もどきの流れ者が、これほど小ぎれいな豪商に変わるほどの商売の成功を成し遂げるのでしょうか?

 

瀬戸方久の史実から、瀬戸方久の成したことや井伊家との関係を探ってみたいと思います。

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瀬戸方久の史実と井伊家との関係

瀬戸方久は、元は遠江国伊佐郡(現在の浜松市北区の大部分)の瀬戸村を与えられた郷士です。

生年は不明です。先祖は新田姓を名乗っていたということなので、没落した武家の出身かもしれません。

井伊家の庇護を受けて豪商に成長したと考えられています。

 

弘治二年(1556年)に井伊直虎の父・直盛より祝田鯉電(現在の静岡県浜松市北区細江町)の年貢減免についての手紙を直虎の母の兄・新野左馬助とともに受けており、祝田鯉電の年貢徴収を請け負っていた代官であったと考えられています。

 

「おんな城主 直虎」の第2話は1544年の話です。

ドラマの中での話ではありますが、1544年当時にボロボロの身なりの流れ者だった人が、わずか12年で直虎の母の兄と同格とされ、年貢(税金)の徴収まで任されるとは破格の出世といって良いでしょう。

実務者としていかに優秀であったかが伺えます。

 

 

永禄9年(1566年)に井伊次郎法師(直虎)が福満寺というお寺に梵鐘を建立していますが、方久は鋳造の資金を担っています。

お寺の鐘を建立するとなると、扱いは貴族並みですね。

 

 

さらに同年の永禄9年(1566年)に今川氏真が井伊谷や瀬戸といった地域に徳政令(領地の住人の借金の帳消しですね)を発布しますが、井伊家はそれに抵抗し、徳政令を実施しなかったという事件が起きます。

 

この時、井伊家に徳政令を実施しないように働きかけたのが瀬戸方久です。

 

金を貸す側だった瀬戸方久としては、借金を帳消しにされてはたまったものではありません。

また井伊家としても、徳政令を実施すれば、領地の経済が破綻することは目に見えていました。

瀬戸方久と井伊家両者の利害が一致した上での協力関係だったようです。

 

しかし、結局徳政令は2年後の永禄11年(1568年)に実行される事となりました。

瀬戸方久の真骨頂はこの2年間にあります。

 

瀬戸方久は、2年間の間に今川氏真に取り入り、刑部城・堀川城の軍資調達を請け負う代わりに自身の田畑や屋敷を徳政令の対象外とする安堵状を得たのです。

さらには堀川城主となっています。

 

一方の井伊直虎は、2年間の徳政令凍結を今川家への背信とされ、井伊谷の領主(地頭)の座を剥奪されます。

 

 

大河ドラマ「おんな城主 直虎」の中では直虎との比較で悪く描かれると思いますが、領主の没落に巻き込まれず、自身の安泰を図ったその手腕は、商人としては褒められる類のものでしょうね。

 

余談ですが、井伊直虎に変わって井伊谷の領主の座に着いたのは、井伊家の家老職であった幼なじみの小野政次(幼名・鶴丸)です。

「おんな城主 直虎」のその他の登場人物やキャストと相関図についても知りたい方はこちらの記事もどうぞ!
おんな城主直虎のキャストと登場人物の相関図まとめ【1〜4話】

 

永禄12年(1569年)遠江国に侵攻する徳川家康に対し、堀江城の大沢基胤が反徳川の構えを見せていましたが、方久は家康への帰順を考えていました。

瀬戸方久は、街道の道案内をするなど家康に協力しましたが、大沢勢の反発に遭い、城を抜け出ています。その後間も無く堀川城は落城しました。

 

その後は気賀宿近くの呉石で余生を過ごしていましたが、慶長11年(1606年)訴状を書いた罪によって呉石で処刑されています。

 

井伊直虎が1582年に没していますから、最後は処刑ではありながら、江戸の世まで行きのびた瀬戸方久は十分に長生きだったと言えます。

生き延びることの達人だったのでしょうね。

まとめ

2017年大河ドラマ「おんな城主 直虎」に登場するムロツヨシさん演じる「あばら屋の男」こと「瀬戸方久」についてまとめました。

 

ドラマでは、「金のためならなんでもする男」として描かれている瀬戸方久。

確かにそういう面があったであろうことは否定できませんが、日常が「生きるか死ぬか」の連続であった戦国時代では、「金のためならなんでもする」ことはむしろ当たり前のことだったと思います。

むしろ、「生き延びる力」に長けた一種の天才と言えるのではないでしょうか。

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